もぐら

あるときを境にじぶんの道が極端にわかるようになった。嫌なものはすべて吐き出してしまうのである。げろげろー。

 でもほとんどがいやなこと。それ以外はましなこと。ましなことに麻痺して過ごすしかない。

 でもそんなことは忘れていて自分は温い泥につかっていてふとした瞬間にそとと出会って思いだす。じぶんがなにだったのかをね。

魔法を食ってたのよ

 

野菜とか肉とか魚とか。あれを調理。切ったり焼いたり蒸したり。そんなことしてただ食う。うまい?まずい?なんとも思わない。どうでもいい。興味がない。わからない。なぜあんなこね回しが食事になりうるのか。想像で食っていた時代が長すぎた。そしてその毒が食に対しての嫌悪感をうみなんでもないものを感じさせる。調理に恐怖を覚える。料理に嫌悪感を覚える。たべるのなんて栄養の補給。はやくそうなりたい。まだ記憶がそれを邪魔をする。たべろ、たべろと。

 

 

いしき

豊潤たれわたし!!

 

自分の意識がわたしの証というかよりどころとして意識せずとも生きていっちゃうんだけどそれが時間がたつにつれてちいさくちいさく豊かに過去になっていてそうなりながらもどんどん意識のほうもそれのあととしても新たにうまれていって、その繰り返しがずっと続く。でもそんなのずっとつづかない。証がとても不安定でないに等しいものに寄りかかるしかない(意識っていうのは今であって証っていうのは地面だから)時期がすぎるほどに意識が豊潤するといまがクリアにみえてくる。いままでのリアルが絞りに絞りぬかれて要素として自分の中におかれる。この状態になってからわたしとしての旗立ちのじきというわけだ。じぶんがじぶんをつくるまで。そのじきまでは無意識にいきていきたいね。あるえいがをみておもう。

あまど

わたしのいえのまどはあまど そとはえらいことなので まあこわい

あるひあけたよ あついので すずしさせめてほしい

ぐぐっ おそと 

あめだ かぜだ むしだ かみなりだ

せかい しらない いやしっていた

こわい わたし まどしめれない

あくむ わるいゆめ いえってどこ?

 

 

取り込むと、透過するとわたしは崩壊する。嫌か、嫌だ。それは。だからしない。しなかった。だからわたし。できないからわたし。